歴史研究者の夫は、今回、東北の津波被災地に行き、歴史資料の保全活動をボランティアをして戻ってきました。

津波でやられてしまった資料の保存活動をする傍ら、壮絶な津波の体験をしながらも生き残った被災者の方々から、お話を聞く貴重な機会があったとのこと。

せっかくですので、被災者の方々のお話をご紹介したいと思います。

津波てんでんこのことわざとは・・・

岩手県大船渡市(元三陸町)民宿経営者の奥さんのお話。
まさかと思った津波が高台にある民宿の建物にもやってきた。夫婦二人でいた時だった。
とっさの判断で、夫は車がやられると思い、一人車に乗り、高いところに逃げた。
そして、妻は、自分も車とでと思ったが、一人で、民宿の建物の中に入り、二階に逃げた。
それでも波がやってきて、最後は、屋根の上に逃げた。かろうじて助かった。
あのとき、夫に私も車に乗せてと夫を呼び止めていたら、間に合わなかった。夫も、私のことはほっておいた。昔から津波てんでこというけれど、本当にそうだった。

そんな話を聞いたということです。

この地域では、昔から、「津波てんでんこ」という、「津波の時には、取る物もとりあえず、肉親のこともかまわず、逃げる」ということわざがあるそうですが、

昔からの言い伝えの通り行動したご夫婦が、津波のことを振り返ってみて、やっぱり言い伝えの大切さを実感したというお話でした。

この地域では、過去、明治、昭和、チリ地震の津波と、周期的な津波被害を受けていることから、集団地(復興地)と言われる、津波の被害を避けるために高台に集団移住して作られた地域があるそうです。
今回の津波では、この高台にある集団地をも飲み込む被害だったそうですが、家は流され、家財道具を失った世帯がほとんどだったにもかかわらず、亡くなった人は、たった一人だったということです。

今、この集落では、もっと高いところに移住する計画を立てているということですが、昔からの言い伝えを教訓に、家を建てたり、行動することの大切さを伝えてくれる話だと思いました。

    生きていた「津波てんでんこ」の言い伝え” に対して2件のコメントがあります。

    1. 吉野 正敏 より:

      この言い伝えについて、わたくしも非常な関心をもっております。分布範囲、いつ頃から拡がったか、どのくらいの年齢の人たちが今回の大震災でじっさいに教訓として生かせたか、を調べております。貴文面ではご主人は歴史研究者との由ですが、文献その他、どんな情報でもお教えいただければ幸いです。

      1. wakao より:

        メッセージありがとうございます。
        夫はその分野の専門ではないので、すぐに情報提供はできませんが、もし調べて何かお役に立つようなものがあればご紹介できればと思います。

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