今日は、「臨界幻想2011」という演劇を見てきました。

見ている時も、見終わった今も心が重くて、でも直視しなければ、多くの方に知っていただけたらという思いで、この文章を書き進めています。

 

この映画は、1981年に青年劇場が、初演してから30年が経つ演劇です。

 

当時稼働していた原発は21基。

青年劇場は、全国の原発所在地、立地予定地での上演を呼びかけ、1982年には、23の市町村で公演を行ったそうです。

当時この演劇を公演したことによって、10の市町村で、原発建設が見送られたということです。これは、まさに原発の課題を見抜いて、運動をしてきた市民の力であり、この演劇の力が生んだ大きな成果だと思います。

 

しかし、その後原発は、55基にまで増えました。

原発事故後、民主党政権下で、54基すべてが、停止した時期もありましたが、大飯原発2基が再稼働となってしまいました。

そして、再び政権交代。自民党政権では、今後、全原発の再稼働を推進していく方針です。

これでは、まさに危険な道に向かって突っ込んでいくようなものです。

 

この劇で示唆していた原発の危険性が、もっと多くの人に伝わって、日本が別のエネルギー政策に舵取りをしていたなら、今回のような事故の影響はもっと小さくできていたのかもしれません。

なぜ国民の生命と財産をこれほど脅かすことになる原発を推進したがるのかは、私は全く理解できませんが、この演劇を見て、さらにその思いは強くなりました。

 

 

この劇では、原発の下請け会社で働いていた若者が、病院に運ばれ、死んでしまうところから、物語が始まります。

医師から、心臓が悪かったのが死因だと言われるものの、やはり放射能の被爆が原因で、死んだのではないか。そう疑問を持ち始めた母親、そして、家族たちが、聞き取りをしながら調べていくうちに、原発の現場で働く労働者の実態が明らかになり、さらに亡くなった若者の身に何が起きたかも見えてきます。

 

 

原発で働く労働者がいかに、放射線被爆という危険な環境で働かされているか。そして、いったん事故が起きれば、周辺住民は放射能という目に見えない、命の恐怖にさらされていく・・・。

まさに、この演劇での指摘が、現実のものとなってしまった今だからこそ、もう一度この演劇を上演しようとした、その意義は大きいと思います。

 

野田総理は、福島原発事故収束宣言をしていますが、今もなお、現場では、戦場同様の苦闘が続いています。

3基の炉心は、燃料が溶け落ち、水が入らなければいつ爆発するかわからない。そして、4号機の燃料プールは壊れた建屋の中で宙づり状態。燃料の取り出し作業が試験的に始まりましたが、これも水が入らなければ爆発しますし、万が一もう一度大きな地震が来たら、大量の放射能が出て、首都圏までも住めなくなるような放射能汚染に見舞われると言われています。

 

まさに神様に祈るような事態の中で、実は今も大量の放射能汚染と、そして命の危険と戦いながら、労働者たちが壊れた原発の元で働かされている。

 

このことを私たちは、忘れてはならないと思います。

 

そして、私たち自身が、実は放射能の恐怖と隣あわせで生きていることも・・・。