今年のいちょう祭りは、沿道を埋め尽くす人で、甲州街道のパレードが全く見えないほど。これまでで最も参加者が多いのかなと思う賑わいでした。

沿道は多くの人でなかなか前に進めないほどの賑わい

私は、鈴木正三顕彰会のブースを拠点に、大久保長安のアピールのブース。昭和第一高等学校のブース。いなりもり保育園関係のお母さんたちのバザーなど、顔を出させて頂きました。

芸者さんも「芸者カレンダー」をアピールしていました

もっといろいろ行きたかったのですが、とにかく人混みの中で、前に進めない。

もともとは。追分に住む大野さんや地域の方々が、中心となり学生さんたちともいっしょになってスタートさせたというこのお祭り。
お祭りには、創始者である大野さんを始め、当時学生さんだった創始者のメンバーも、勢揃いされ、おそろいの「いちょう」の葉っぱをモチーフにしたネクタイをして、おしゃれにさりげなく、お祭りの歴史をアピールされていました。

いちょうまつりには、私も毎年なんらかの形で参加してきましたが、それにしても、ずいぶん、多くの人々が参加する堂々たるお祭りにさらに成長した感じです。

考えてみれば、甲州街道のいちょうを象徴としてお祭りをつくるなんて、なかなか粋な話です。

自然、歴史を生かしたまちづくりをどう進める!?

現在、私は、地域でいろいろ活動をしていますが、自然、歴史、文化を生かしたまちづくりも私にとっては大きな一つのテーマです。

今回のいちょう祭りでも島根県の物産店とタイアップして大久保長安のアピールをされていましたが、私が注目をしているのが、大久保長安の歴史についてです。

大久保長安のブースを背に

島根県では、大久保長安が手がけた岩見銀山が世界遺産登録され、地域の人たちの認知度や人気も高く、他の地域での大久保長安の評価は高いのですが、肝心の八王子では、八王子のまちの起源に関わる人物であるにもかかわらず、知る人ぞ知るという状態。

島根県では、ゆるキャラ「らとちゃん」も登場。銀山の坑道を照らす明かりの油入れに使っていたサザエをモチーフにしているそう。

大久保長安は、もともと武田家の家臣でしたが、徳川家康に仕えることになり、八王子のまちの基盤を作り、銀山の開発を手がけ、多彩な才能によって、江戸幕府の財政や軍事の基礎固めに大きく貢献した人物です。
しかし、あまりにも力を持ちすぎたようで、徳川家康によって、死後断罪となってしまう。
このことにとって、八王子のまちの人々が、大久保長安のことは語らなくなってしまったようです。

でも、歴史をしらなければ足下がぐらぐらして、魅力のあるまちもつくれないのではないか。

そこで、この長安のことをもっと知って、まちづくりに生かしていこうとする動きが盛んになっています。(大久保長安のおまんじゅうも作られました。おいしかったです。)

一方、中世の歴史の象徴とも言える八王子城跡の歴史も、心霊スポットの名所として注目を浴びてはきましたが、きちんと歴史を伝える環境は整っていませんでした。

この秋には、城跡にガイダンス施設が、オープンし、ボランティアなどの方の力も得ながら、歴史を伝えられる環境も整備されました。

八王子城跡は、市が管理運営をし、市も認識は高いと思いますが、大久保長安については、まだまだ市民の活動の段階です。

でも八王子城跡も大久保長安も中世と近世で、時代こそ違いますが、八王子の歴史です。

市も、こうした活動にぜひ注目をし、一緒になって、歴史の発掘とそれをいかしたまちづくりを進めてほしいなと思います。

お祭りを生かした文化の発信と人の交流も!

八王子は地域特性も様々で、なかなか一つのまちとして一体化することは難しい根という声をよく聞きますが、そもそも違う地域、まちが集まって八王子のまちができたのですから、全部同じものを共有するのは、土台無理な話です。

むしろ、この違う地域が寄せ集まってできた八王子のまちを生かして、違いを楽しめるようにしていければいいのかな。

そして、その地域を知って楽しんでもらう場をお祭りとして提供できれば、いいのではないかなと思います。