「学ぶべきは感動大震災~過去を知り明日に備える~」武村雅之氏の講演を聞いて

2月21日、八王子市町会自治会連合会主催の防災講演会が開催されました。

私も、参加し、武村雅之氏の講演を聞いて勉強をさせて頂きました。今後の防災のあり方を考えるに当たり、大変参考になるお話でした。せっかくですので、報告をさせて頂きます。

関東大震災では、10万5千人もの死者を出しました。この震災から得た教訓を生かすべく、日本の建物の耐震基準が作られ、地震防災に対する考え方が作られていきました。

しかし、防災担当者ですら、防災の考えをつくっていく元となった、『震災予防調査会報告』という報告書を読んでいないということを知り、愕然としたといいます。

武村さんは、将来への備えは、過去の教訓を知ることこそまず必要だとの信念を持ち、調査研究をされてきた方です、

講演では、関東大震災やさらに、今回の東日本大震災の実態についてもお話を頂き、被害の実態や、被害を大きくした要因、また今後将来的に被害を減らしていくには、どのような取り組みが必要か、そして私たちの社会のあり方についてなど、多くの示唆を得ることができました。

関東大震災ではどのような被害があったのか

大正12年9月1日発生 マグニチュード7.9

死者の状況

家の下敷きになっての死亡   1万1000人

大火災に巻き込まれて死亡   9万2000人

土砂崩れでの死亡       700人から800人

津波で死亡          200人から300人

合計             10万5千人

 

150キロから200キロの広範囲の震源であり、房総半島や三浦半島は上がり、伊豆半島や東京は下がったという地震でした。

 

地盤が悪い地域で建物倒壊と出火

江戸幕府は古来江戸湾に流れていた利根川を埋め立て、川がえをしています。隅田川の東側は湿地帯であり、水道橋当たりは、大池を埋め立てています。

つまり、地盤の悪いところにたくさんの家が密集して建てられており、そこに大地震が来て、家屋が倒壊。出火して火が燃え広がり、たいへんな被害を出したのが関東大震災でした。

 

震災後わずか9ヶ月で、家屋の耐震基準が成立

多くの被害を出した震災で、これほど火災でなくなった人が多かったのは、家屋が倒壊することによって、下敷きになったり、家屋がつぶれているので、火を消すことができなかった。家屋さえ倒壊させなければ、被害は縮小できると考え、震災後わずか9ヶ月、1924年、大正13年6月には、耐震基準が成立しました。

これは、異例中の異例の早さ。いかに衝撃が大きく、人々を守りたいという証だったかということです。また、どこでどのように揺れたのかの調査も行われました。

 

関東大震災から得た教訓

・東京駅は、地盤の悪いところに建ってはいたが、最初から地盤の悪さを承知して、地面に松のくいをたくさん打って建てていたため、東京駅は揺れなかった。

→地盤が悪いところには、それなりの対応策をきちんとすることで、被害は軽減できる。

・陸軍被服廠跡で4万4000人もの多くの人たちが亡くなったのは、避難する人たちが大八車に家財道具を乗せて、広場に集まり、そこに火災が人々を取り囲んでしまった。燃えやすい物があったために一気に燃え広がった。

→江戸時代は、火事で逃げるときは、家財道具を運ぶことを禁止していたが、大正の人々はそのことを忘れてしまった。逃げる時は、荷物を持って逃げない。車で逃げると混乱する。

・住民同士の絆が強く、住民の協力があって、火が燃え広がらず、死者も出なかった地域がある。

→住民同士の協力は災害時において極めて大切

・地震後は山津波も起きる。

→崖の下には、住まない方がいい。

・東海道は、むやみに海岸線を走らない設計になっている。

→海岸線の危険性の認識が必要。

・八王子では、東京に比べ、被害は少なかったと言われ、(といっても建物は倒壊しているが、東京があまりにもひどかったので被害が小さいと言われた。)行政として、避難してきた東京や横浜の人たちを受け入れ、民家でも見ず知らずの人々を受け入れた。

→大正時代の人たちは、個人情報保護法ができてさらに分断された孤立化している現代人とは違って、頼もしい。大変な時こそ、助け合えることができれば!

 

東日本大震災から見えてきたこと

津波で亡くなった人は、今までの津波で大丈夫だったからと逃げなかった人が多い。また逃げない人がいるために、巻き添えを食って亡くなった人が多い。

(亡くなった人のうち、高齢者で動けないような人は、3%であり、後の97%は、元気な人。)

→強い揺れに加え、長い揺れの場合は、必ず大きな地震が来る。津波が来ることを想定し、すぐに逃げる。以前大丈夫だったからと過去のことは言わない。過去と同じ被害になる保障はどこにもない。

・決められた避難所よりさらに高いところに逃げると判断した子どもたちは助かっている。→防災マップを信用しないで、できるだけ高いところに逃げる。

・内陸に住んでいる人は、津波は関係ないと思っているが、津波で死んでいる人の中には、休暇で海に遊びに行っていて、逃げ遅れてなくなる地元っ子でない人も多い。

→休暇で海に遊びに行くときは、気を付ける。せっかく休みを取ってきているのにと逃げるのにぐずぐずしない。

帰宅困難者になった場合

・地震の後はむやみに動くのはかえって被害を大きくして危険。

地震が起こると避難したがるけれども、起こって逃げても遅い。今いることろが安全であれば、いったいどこに避難するのか!?

・家族が心配なのはわかるが、日頃から地震が起きた時のことを家族会議で話しあっておく。家族を心配してかえっても、すぐには家にはたどり着かない。

・家族と連絡が取れなくても無事でいると信じて、そこで困っている目の前の人たちを助けるようにする。←同じことをみんながやれば、助け合って助かることができる。

まとめ

自然とは、厳父の厳しさと慈母の愛があるということを常に心し、備えをしておくことが大切

耐震補強をしておけば、被害は軽減できる。

未来を担う子どもたちを守る・・・・学校の耐震性の確保を!

自助・共助が大切・・・孤独な人たちが多い社会 人のつながりが希薄でいいのか。個人情報保護法の運用の見直しをし、町会名簿はつくるべき。助け合いの関係を築くことが今こそ大切。

生活を豊かにするその延長線上に地震がある・・・・防災のことを考えて取り組んでいくことが、すなわち生活を豊かにしていくことになる。

一人の百人力より、百人の一人力!

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